2008年08月14日

「僕には金色に輝いて見えました」。

『金融リテラシー』の神宮司です。

8号マンスリーレポートに「二十一世紀文化革命」という巻頭コラ
ムを載せました。書く時、『十六世紀文化革命』という本を参考に
しています。『十六世紀文化革命』は在野の、予備校の講師が著し
た全2巻の科学史の本で、その前著『磁力と重力の発見』は一級の
学術書で大彿次郎賞などいくつかの賞を取り話題を呼びましたが、
こちらは専門書の味わいを、一般の読者にも伝える読みやすさも兼
ね備えた、名著です。

この時代、職人が、手仕事を通じて得た知見、自然に対する認識を
本にする、ということを通じ、職人自身の社会的な地位が向上しま
した。同時に、「古代」を良しとする、つまり時代が下がるにつれ
人間社会は退化しているとする理解から、時間軸の矢印を逆向きに、
いや人間社会は過去から現在、現在から未来へ進化しているという
「進歩史観」を準備しました。

また商人は複式簿記をベースに、日々の資金と商品の移動を数量的
に把握するという世界認識のやり方を本にし、生活全般に「計測と
計算」の習慣を浸透させていきました。世界はこのころから次第に、
目に見えるものへ還元されうる側面を人間に見せ始め、そこから人
間社会は更に一歩を進め、数字で世界を制御するすべを身に着けて
いきます。ここに今日の「市場原理」の揺籃期が始まったのでした。

数字で測れるものに価値を置く(市場原理)、その数字が昨日より
今日に向かって改善する、限界増に向かって努力することに価値を
認める(進歩史観)、この考え方が今日社会全体をいかに覆ってい
るかは、いま北京で開催されているオリンピックが端的な例です。

ところでやや荒っぽい議論かもしれませんが、数字で測れないもの
からの反撃が環境問題ですし、数字で測れないものにも価値を置く
ことがなければ解決を見ないと考えられるのがワークライフバラン
ス問題です。そしてこの二つは「成長」を前提にしない社会のあり
方を指差しているように思います。

その意味で、「僕には金色に輝いて見えました」と語った谷亮子選
手の夫、プロ野球選手の谷佳知氏の言葉は示唆的だと思っています。

柔道女子48キロ級で、谷選手の「ママでも金」は達成されず、メダ
ルは銅でした。数字で測れる価値観の世界で、銅はあくまで第三位
の意匠でしかありません。金より価値は低いことになります。

しかし私達の生活には、数字で測れる価値観の側面と同時に、数字
で測れないものに価値を置く側面があります。「僕には金色に輝い
て見えました」は単なる言葉の上の比喩ではなく、谷佳知氏の身体
と心が実感する、ある感慨であったはずです。そこには、睡眠時間
を削りながらの育児と仕事(ここでは柔道)に、ともに取り組んだ
パートナーの実存的な感触、手触り感があるに違いないのです。

「僕には金色に輝いて見えました」。

この言葉を単なる比喩とみるか、実存的な感触とみるかが、二十一
世紀的課題である環境問題や、ワークライフバランス問題の解決を
左右する分かれ目だ、というのはやや大袈裟でしょうか。
posted by sansara at 21:01| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | comment | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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